AIと人間の違い

生成AI

AIと人間

AIと人間、人工知能AIの進化が話題になっている。アメリカオープン

AIが開発したチャットGPTは質問に応答するだけでなく、簡単な示唆

を与えるだけで短編小説を書いたり、長い文章を短く要約したりす

 前後の文章を読んで答えるので、質疑応答を続けるだけ続け

ることができる高精度の会話が可能な言語AIとして目下大変な注目を

集めている。実際、使ってみると確かに何でも答えてくれるという

印象を受けた。

  量的緩和政策の問題点は?と聞くと、バブル経済のリスクやイン

フレのリスク、金融政策にできることには限界がある

など、一般によく言われている問題点を簡潔にまとめて解答してくる。

 経済学の試験やレポートで単位をもらうには答えが簡単すぎるが、

世間一般で何が言われているかを知るには便利である。ただし、全く

事実と異なる解答をすることもある。

 京都学派の代表的な人物は?と聞くと、哲学者の西田幾多郎の名前は

なく、別の全く架空の人物をあたかも実在実在した哲学者であるかのよ

うに紹介してくる。同様の事例はネットでも数多く指摘されている。

チャットGPTは、膨大なデータをAIに読み込ませて解答を導き出す仕組み

なので、これらの点は今後読み込ませるデータを多くするなどして改善

されていくであろう。専門家に聞くと、この技術で驚くべきは内容の正確さ

ではなく、言語処理技術の精度の高さにあるという。

 人間の自然な会話がそうであるように、前後の文脈を読んでこちらの入力し

た文章に自然な言葉で応答を続けることができる。これは膨大な文章のデータ

から言語のパターンを学習し、ある単語の次にどんな単語が来るかを予測する

精度を上げていくことで、可能になった技術である。

AIの問題点

膨大なデータ処理と計算能力で、あたかも自然に会話が続いているようにふ

るまえるのだから、興味深い技術であることは間違いない。ただ重要なのは

会話が続くからといって、人工知能が人間と同じ原理で作動しているわけで

はないということだ。人間同士の場合、相手がどんな人格や個性を持ってい

るかを探りながら会話をする相手との間に共通了解を見つけ出し、それを前

提に会話を進めたりするのだが、AIはそのような人格的な配慮を一切行っ

ていない。あくまで、ある単語の次にどの単語が来るか、その予測に従って文章を

作成しているのである。

  ここにはおもしろい問題がある。我々は学んだ知識に基づいて、自分たちの

世界像を構成しているが、AIはそうではないからだ。

京都学派について学んだ者は西田幾多郎がどんな人物であるか、どんな哲学

を展開したのかというおおよそのイメージを持っている。だが、それを人に説明する

のは困難だ。一方AIは何でも説明できるが、その対象を実は知らない。読み

込んだ膨大なデータから京都学派と言う単語に関連するデータを集め、統計的

な処理を施すことで、それに続く適切な言葉を次々に続けているだけである。

人間は経験を通じて様々なことを知っている。だが。それを言葉でうまく処

理説明できるとは限らない。知識を言語化して相手に伝えるには、それなり

の訓練が必要だからだ。しかし、説明で きないからといって知らないわけ

ではない。反対に、AIは何でも言葉で説明できるが、その説明に対応する

事実を知らない。これはAIの仕様からいって仕方のないことだ。知っている

ことでも、うまく説明できない人間に、対してAIはなんでもうまく説明でき

るが、本当の意味では何も知らないのである。今後、AIが読み込むデータの量

が増えれば、事実誤認の可能性は少なくなるだろう。京都学派についても、

いずれ今よりずっと見事な説明をするようにになるに違いない。だが、

それで人工知能が人間の知能に近付くわけではない。人間が知識を得るのと

は全く別の仕方で、事実についての説明の能力を獲得して行くということで

ある。人工知能は人間の知能とは全く別の方向に進化している可能性が高い。

人間の求めに応じてさまざまな情報を集約し、要約し人間が理解できる

自然な言語に置き直してくれるが、現実に存在する世界について何も知るこ

とができない。人間にとって学習するのは、われわれの身体を取り巻く環境

世界について理解を深め、その世界に働きかける技術を身につけることだが、

AIにとっての学習はそうではない。機械学習や深層学習などAIの進化を生み出

す学習は、人間にとってそつなく、必要な情報を過不足なく与えてくれるよう

に、データを適切に処理するということなのである。したがって。人間が人間

である限り、大概は分業できるはずである。AIにできることはAIに任せて人間に

できることに特化していけばいい。危険なのは、人間が機械への依存を強めるこ

とで、人間本来の能力を手放してしまうことだ。これは決して急では無い。実際、

現代社会にはありきたりの情報やお題目を並べるだけの有識者の一方的なコメント

を、テレビやネットという機会を通じて見聞きして無批判にわかった気になってし

まう人も少なくない。現代人は知らないことが出てくるとすぐに機械に尋ねる。人

に聞けば、そのコミュニケーションを通じて世界が広がる。書物を紐解けば、想像力は

文字列の奥へ奥へと広がって行く。機械に尋ねれば、世界一般で正しいとされる答えが

瞬時に帰ってくるだろう。人と会話したり難しい文章を解読する煩わしさはない。

人間の良さ

だが、それは機械に合わせて世界を、小さく狭く理解することでしかない。人工知能は、

人間の知性や会話能力を模倣するための技術を進化させてきた。その便利さから、社会

の中でこれから存在感をさらに増して行くことになるだろう。経済、今日の利益や国家

的な発展のためにはそのような技術に惜しみなく投資を続けることが必要である。だが、

人間は機械とは異なる能力や機械には決して模倣されない能力を持っている。人間が何か

を知るとはその知識に対応する現実についての確固たるイメージを形成し、生活に役

立てるということである。それは機械には真似できない神秘の営みなのだ。その能力を

軽視し、機界への依存を深めるなら、技術の進歩は人間の可能性を押し広げる方向にで

はなく、縮小する方向に進んでしまうことになるだろう。

 

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